月別アーカイブ: 1月 2014

文化講演会「三番町界隈の今と昔」のご案内

来る3月8日(土)午後2時から、大妻女子大学本館11階において、大妻コタカ記念会主催文化講演会「三番町界隈の今と昔」を開催いたします。

古くからたくさんの歴史上の人物や文人が住んでいた番町界隈、とりわけ大妻ゆかりの由緒ある三番町界隈についてを、大妻中学高等学校の寺尾隆雄教諭がお話しくださいます。

どうぞお誘い合わせのうえおいでください。講演会についての詳細は、大妻コタカ記念会ホームページで。   http://www.otsuma-kotaka.or.jp/?news&d=20140128

また、会場となる大妻女子大学本館11階には「江戸の街の今と昔」を描いたチェンジングアートが設置してありますので、そちらもお楽しみください。

大妻とこの三番町との出会いは大正6年(1917年)にさかのぼります。

それまで山階宮(やましなの宮)邸の官舎(現在の千代田区富士見町の地)を教場としていた「大妻技芸伝習所」は前年に各種学校としての設立認可を受け、生徒数も年々増加の一途をたどっていた上に、宮家の改築が伴い、学校用地の取得が急務になっていました。

そして八方探した結果、大正6年、旧幕臣佐野善左衛門邸跡である現在の千代田キャンパスの大学校舎北側にあたる麹町区上六番町7の土地を購入し、移転したのです。(その後南側の土地も購入)

幸いなことに山階宮家から校舎としていた建材を拝領し、華頂宮家からいただいた通用門を校門として新校舎が落成しました。この宮家への恩義が大妻の旧校歌にこめられています。

私塾を開いて9年目にして、大妻良馬、コタカ夫妻の手になる学校が三番町のこの地にこうして築き上げられたのです。

 

 

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大妻でのお正月

明けましておめでとうございます。

新しい年が始まり、皆様の安寧とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

今年も大妻コタカ記念会へのご支援ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。

時代とともにお正月の過ごし方は変化し、多様化していますが、戦後間もない戦争の傷跡がまだ生なましく物資の乏しかった時代に、大妻でのお正月はどんなだったのでしょう。

その思い出を、1991年(平成3年)1月8日発行の大妻学院報に当時常任理事であった長岡晃夫先生(現大妻学院顧問)がお書きになっていますのでご紹介いたします。

『焼け野原の中に大妻のコンクリート造りの校舎がひときわ目立って残っていた。大妻コタカ先生も焼け出されて、その校舎の校長室に畳を敷き込み、寝起きされていた。入り口とお住居を仕切る戸棚の裏には、出勤された先生が朝の挨拶とともに捺印してゆく出勤表が張り付けられていた。総勢二百人に満たず、先生方のお名前もすぐに覚えられるような昭和二十二年の大妻は、大妻先生を中心とした家族的な雰囲気の中にあった。

校内の大教室は畳が敷かれ、昼間は長座卓を使って授業が行われ、授業が終わると校内寄宿となっていた。準備室に積まれた寝具の山が崩れ、夜のとばりがおりるまで、そこは明るく弾んだ屈託のない談笑の声が満ちていた。

十二月の学期末も過ぎると、昼間の学生・生徒のざわめきも夜の寮生の談笑も消える。教職員の方々もそれぞれに故郷にと帰省されて、一人また一人と周りから人々が去って怖いような静寂だけが取り残される。

元旦の朝食(といってもすいとんかサツマイモ)が終わるころになると、校内の残った先生やお部屋の人たち十人ほどが大妻先生のもとに集まり、音楽の先生のピアノで簡単な式が始まる。それでも一応式次第にのっとり、新年のご挨拶や君が代から年の始め、校歌を全員で斉唱した。皇居、伊勢神宮の遙拝、それぞれの故郷の氏神さま方向に向かって、父母、ご先祖さまへの礼拝など信仰心の深かった先生を中心に静かでひきしまった小さな集まりであった。

この式が終わると先生は皇居参拝、日枝神社、大宮の氷川神社、靖国神社などのお宮参りに出かけられた。こうした正月の行事は、公式の式典がなくなった昭和二十一年から先生のお亡くなりになるまで欠かさず続けられた、と聞いている。

焼け跡の藜(あかざ)や校庭の桑の葉で空腹を癒していた時代にあって、先生は頂き物など少しの食べ物でも周りの人たちと常にわかちあわれていた。こうしたなかから、お正月のためにと少しずつ貯めておかれたほんのひとつかみのおせち料理と神棚用のお酒の残りでの乾杯であったが、新年を校内で迎えた者たちにとって本当に心温まるひとときであり、新しい年を迎えた喜びとも、期待とも、決意ともいえる感慨を覚えたものだった。』

大妻コタカ先生を中心として、ささやかでも心の繋がりの深さを感じさせるお正月の過ごし方が窺えます。そして信仰心の篤かったコタカ先生のお姿が浮かんできます。

この時代から60年以上の時が過ぎていますが、日本人にとってお正月は文末にある「新しい年を迎えた喜び、期待、決意」をもたらしてくれます。

元日の朝日新聞天声人語の言葉をいただいて、いや重(し)け吉事(よごと)、いや重け吉事。

※いや重け吉事とは…万葉集全20巻の最後の大伴家持の詠んだ元旦の祝い歌である「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重け吉事」より。

吉事とはよいこと、幸運なこと。そして、当時、雪は豊饒のしるしとされていた。

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