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行って見て伝える旅 気仙沼

2013年(平成25年)10月15日(火)16日(水)大妻同窓会宮城では、会員有志が気仙沼一泊二日の旅を行いました。

気仙沼で現地の同窓生2名と合流し、ホテルのバスで市内観光。

先ず「航海の安全と大漁を祈願する」という由来から名づけられた安波山(あんばさん)(標高 239 m)に車で登り、港町の全貌を見学。

大震災のあの日、このリアス式の内湾には、引いては返す津波が40回襲ってきたのだそうです。

左の写真は安波山からの眺め

 

下左は、2013.10.15の気仙沼内湾

下右は2011.3.11の津波被害を受けた気仙沼内湾(写真:「市民が伝える気仙沼の大震災」街の情報誌『浜らいん』編集室提供)

 

 

 

 

次に鹿折(ししおり)地区へ

鹿折地区は、漁港から約 900m 離れた鹿折唐桑駅前に漁船(第18共徳丸)が流れ込み、加えて湾入口の油槽タンクから流出した油が二昼夜、町を焼き尽くしました。

左の写真は、震災当時の鹿折地区です。ここには駅があり、商店街があり、住宅があり、生活があったことが解ります。(写真:「市民が伝える気仙沼の大震災」街の情報誌『浜らいん』編集室提供)

左とその下の写真は、現在の鹿折地区です。がれきが撤去され、家の基礎だけが無惨に残るのみです。ここの土地には人の歴史があり、暮らしがあった筈なのに、今は何一つ見ることも感じることも出来ませんでした。

気仙沼市では、震災の記憶を伝えるモニュメントとして陸に打ち上げられた漁船(第18共徳丸)を保存したい意向だったようですが、住民からは「震災を思い出す」などと反対の声も強く、市内の全世帯に船の保存の賛否を問うアンケートを実施した結果「保存の必要はない」との回答が約7割を占め、現在解体が進められています。

気仙沼の同窓生は、解体前、陸に打ち上げられた第18共徳丸の前で、ピースサインで写真撮影をされている方があり、とても悲しく、柳眉を逆立てる思いであった…と胸の内を明かしてくださいました。

 

大妻コタカ先生の書「誠」  大妻力・きずな

左の色紙コピーは、気仙沼で被災された同窓生が、卒業間際(昭和30年代)、購買部で色紙を購入し、学長室を訪ね、大妻コタカ先生に卒業記念に書いて頂きたいと直接お願いし、書いて頂いた色紙です。幸い津波被害に遭いませんでした。そして、この震災で何もかも流された気仙沼在住の同窓生に、カラーコピーをして贈りました。

 

車窓から見た津波の爪痕

写真左 : 地盤沈下 いつまでも水が引かない

写真下左 : 〈南気仙沼地区〉 止まった信号機 土地はかさあげ工事中

写真下右 :〈 内湾地区〉 建物の壁に6.3m 大津波のライン

いずれも2013.10.15撮影

 

 

 

 

 

写真下左 :〈 南気仙沼地区〉 奥の建物の近くに同窓生の家がありました

写真下右 : 〈南気仙沼地区〉 震災の日、同窓生はこの建物〈ホテル)に避難し、難を逃れたそうです

いずれも2013.10.15撮影

 

 

 

 

 

三陸復興国立公園 岩井崎へ

三陸復興国立公園は、東日本大震災により被災した三陸地域の復興に貢献するために平成25年5月に創立された国立公園です。悲惨な津波の爪痕だけではなく、豊かな自然、新鮮な海の幸を楽しみました。

左は潮吹き岩 : 浸食された石灰岩に波が打ち寄せる旅に潮を噴き上げダイナミック

郷土が誇る横綱千代の山の銅像 : 東日本大震災直後の新聞等で「津波にも”残った”!」と報道され、被災した人たちに勇気と希望を与えました。

岩井崎で太平洋をバックに集合写真

 

 

 

 岩井崎に自生するハマギク

龍の形の被災松

この松は津波によって幹や枝などが被害を受けたものの、一部が奇跡的に残り、まるで龍が昇る姿に見え、縁起のよい松として話題を呼んでいます

震災で亡くなられた塩作り名人の遺志を受け継ぎ、気仙沼市階上観光協会の方々が「階上地区の観光復興の第一歩」と観光客の受け入れを開始したものでお塩作りを体験しました。

 

 

大妻コタカ記念会では、被災地復興への継続的支援の一つとして、会誌「ふるさと」に被災地の記念会会員の広告を無料で掲載する活動をしています。

平成25年9月刊行の「ふるさと65号」では、三陸復興国立公園の広告も掲載しました。

被災地を訪問することも復興支援の一つです。

 

 

 

 

 

 

               

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