文化講演会~サヨナラ狭山台校~

10月18日(土)、大妻祭(大妻女子大学文化祭)が開かれている狭山台校で、大妻コタカ記念会主催文化講演会~サヨナラ狭山台校~が開催されました。

狭山台校が来年3月に幕を閉じることにより企画された文化講演会で、卒業以来狭山台校とは疎遠になっている卒業生にも、懐かしい狭山台校を訪れる機会としていただけるようにと企画されました。

第一部は、「狭山台校を取り巻く二本木の歴史」と題して入間市博物館学芸員の工藤宏先生にお話いただきました。

二本木という地名は、軍師官兵衛が活躍した時代の古文書にすでに記載があり、江戸時代にはこの地では旗本がたくさん支配をしており、八王子から日光へ通じる日光脇往還の重要な地であったことなどから講演が始まりました。

 

この狭山台校の地は、戦前には陸軍航空士官学校があり、戦後はその兵舎を利用して狭山中学校になり、その後中学校は移転して跡地は牧場となり、昭和42年大妻女子大学狭山台校が開設されます。その間の移り変わりを資料をもとに、大変興味深くお話しいただきました。

また、大正から昭和の時代にかけて、この地にあった埼玉最大といわれた1000人規模の大きな豊岡公会堂では、教育の大切さを重んじた町長らの施策で市民大学が開講され、講師には当時の名だたる人たち、犬養毅、新渡戸稲造、後藤新平、等々16人の中に大妻コタカの名前もあり、講義をしていたという記録も残っているというお話も伺いました。

第二部はスライドショー「青春プレイバック~思い出の狭山台校」をご覧いただきました。

卒業生や大妻の関係のたくさんの方にご協力いただき、お寄せいただいた写真や数々の思い出をもとに制作したスライドショーでは、ところどころで歓声が上がるなど、当時の懐かしい日々が甦り思い出に浸っていただきました。

48年間には校舎をはじめ諸設備も整備され、小さかった木々も大きく枝を張る大木に成長してきました。時代とともに狭山台校を取り巻く環境も大きく変化してきました。そんな様子もこのスライドショーでご覧いただきました。

勉学に、部活動にと、輝いていた青春を過ごしてきた狭山台校が終焉を迎えることに、名残惜しさを抱く卒業生の方は多いことでしょう。

この狭山の歴史を冊子にすることを、大妻コタカ記念会の法人設立40周年記念事業として進めてまいります。卒業生の皆様にご覧いただけるように、刊行の際にはご案内いたします。

青春時代にこの地で過ごした方々の心にいつまでも狭山の地が残っていきますように願うものです。

 

 

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